26
MAR
2014

「ラク」するということ

(当時38歳)

「ラクして生活したい」というフレーズ。
よく耳にするし、発っしたりもする。
誰だって、ラクして生活したいのではないだろうか。
でもちょっと待って。
「ラクしたい」ってどういうことなんだろう。
何の苦労もしないで、お金を稼いで、優雅に暮らすことだろうか?
それも一つかもしれないが、ぼくはそれだけでは「ラクしたい」とは違うと思っている。
たとえば「何もしないでもお金が稼げる仕組み」が「ラク」だとは思えない。
その結果、やりたかったあれやこれができるようになってはじめて「ラク」と言える。

「ラクだわー」というシーンはよくある。
たとえば移動手段一つ取っても、長距離歩くところを自転車を使えばラクだし、車を使えばもっとラク、バスや電車、タクシーを使えばもっともっとラク。
ただし、この場合の「ラク」は前述の「ラクして生活したい」の「ラク」とは性質が異なる。
その違いは何か。

「ラク」の意味を2つに定義してみたい。
1. 楽しいということ
2. 便利や快適ということ

「ラクだわー」は2に該当。
問題は「ラクして生活したい」の意味が1に該当すればいいのだが、そうではないケースがあること。

「ラクして生活したい」は「楽(ラク)して生活したい」であり、楽しく生活したいということであるべきというのが持論。
そのため「ラクして生活するために、身を粉にして一日のほとんどを稼ぐために時間を費やしている」というのは何か違う気がするのだ。それは「生きるために働く」ことで、決して「楽(ラク)」にはなっていない。
前述の「何もしないでもお金が稼げる仕組み」もそう。それ自体が「楽(ラク)」とは思えない。
その結果「楽しい」のは何なのか、が重要ではないだろうか。

苦しさの裏側が「楽(ラク)」なのではない。
ときとして「楽(ラク)」だけど苦しいシーンだってある。でも、その苦しさは結局「楽(ラク)」とつながっている。それはひょっとするとのちの武勇伝となる。逆に、「楽(ラク)」につながらない苦しさは問題視したほうがいい。
「ラクして生活したいわー」は桃源郷として使わない。「ラクして生活したい」の言葉と一緒に、それはどんな楽しいことなのか想像する。

楽しさ、プライスレス。

「ラクして生活したい?」の答えはすべて実現可能な前向きな「YES」でありたい。

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