9
AUG
2015

あえて言おう、ハゲであると。

(当時40歳)

感謝の年(39 = サンキュー)をすぎ、40歳になった。

歳を重ねるたび、時の流れが加速していく。
その理由は一年の重さを考えて納得した。たとえば1歳であれば一年の比率は1/1(1.0)、10歳であれば1/10(0.1)、30歳であれば1/30(0.03)。つまり歳を重ねるごとに自分の人生における一年の割合が小さくなる。それだけ歳を重ねるごとに一年の長さを短く感じるということ。
30歳前にこの考えを思いついたときには、すごい発見だ、と意気揚々としたものだ(その後、同様の考えを持つテレビタレントが同じことを言うのを聞いたとき、自分の発見は他の誰かが発見していることに「そりゃそうだよな」と思ったりした)。

30歳になった頃、ガクッと体力の衰えを感じた。どんどんおじさん体型、いわゆる腹ぽっこりのメタボ体型になっていった。それでも根拠のない自信だけはあった。体力もダイエットも本気を出してトレーニングすれば20歳前後の若者にまだまだ負けない、根拠のない自信だけはあった。

「死ぬ」なんてことはなにも怖くなかった。現実味も実感も全くなく、「今」のこだわりが強かったからこそのマインドだったと思う。

40歳が近くなって、歴史を近くに感じるようになった。
なんとなく明治や大正が近くに感じつつあったが、もはや江戸も鎌倉も、もはや1000年前さえ近くに感じるようになった。そして戦争はつい最近の出来事に思えて怖くなった。中・高校生に歴史を学習した頃は、遠い昔のことに感じていた「歴史(過去)」が、今ではぐっと近くに感じる。

と同時に、衝撃的なことが起こり始めた。髪のボリュームが明らかに少なくなってきた。
こればかりはメンタル的にダメージを受けた。どうしようもできない現実だ。
そして一気に歳相応のルックスとなった(一応それまでは若く見られていた)。

40歳をすぎて、髪の抜けるスピードさえも加速していく。
シャワー後の排水溝が抜け毛で満たされるのを見るにつけ泣けてくる。

理想のハゲ方は、額の両サイドからMの字のように後退するタイプだったが、実際はもっとも避けたかった後頭部から丸くハゲてゆくタイプ。若かりし頃、「ハゲてきたら坊主にする」と豪語したものだ(その頃はまさかハゲるとは思いもしていなかった)。だがしかし、まだ坊主にしていない。

「認めたくないのだ。ハゲであるということを」

そして今。40歳と1ヶ月にして強く思うこと。髪の毛を失いつつあると同時に、若ささえも奪われていくことが骨身にしみる。体調を崩せば治りづらくなり、疲れやすくもなり、過去だけでなく未来までもが近くなる。そして願う。
「生きたい」。
いつ死んでもいいと思った若かりし思考は髪の量とともに薄くなり、それと引き換えに芽生えた長生きしたい気持ち。未来をもっと体感していたいという渇望。
若くないことを自覚した思考回路に変換した。

いつかやろう、と思っていたことの多くは、今やらなければもうできないことが重くのしかかる。
いつか使おう、と大事にしまっておいたものは、今使わなければもう使うことがないことが重くのしかかる。

ハゲることは、痛切に悲しい。
人生が有限であることは、痛切に切ない。

でも、受け入れて進むしかない。

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